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「姉さん」と呼んだ人のこと

とき葉には妹しかいません。でも、少しの間だけ「姉さん」と呼ぶ人と一緒にすごしたことがあります。

「この人と会うと、胃が痛くなる」←結構体験している人がいると思いますが、私にとって姉さんは、生まれてはじめて会うと「胃が痛くなる」人でした。

まず、姉さんはコワい。すぐに怒るし、行儀にうるさくて自分に厳しい。姉さんには8歳になる女の子がいましたが、あんなに親の言う事を素直に聞く小学生を、私は未だに見た事がありません。ただいま、と帰って来て洗濯物を取り込み、畳んだら机の上を拭き「お母さん宿題やります。本を読むので聞いてください」と言って素直に宿題を始めるのです。おやつも催促しないし、姉さんに聞くところによると朝は卵かけご飯を自分でつくって食べて学校に行くとのこと。自分が同じくらいの時では考えられませんでした。

姉さんは17歳の時、娘を産んだそうです。それもたった一人で。それからいろいろな仕事をしたのでしょうか。子どもと離れて暮らした時期もあったようですが、厳しい態度の中には子どもにしっかり育ってもらいたいという強い信念が感じられました。いわゆるスナックで夜の仕事をしていました。
姉さんの旦那さんは社会的にコワい人でした。二人はまだ結婚したばかりだったのですが、旦那さんは早くも姉さんをたくさん泣かせていたようです。この旦那さんのおかげでとき葉は麻雀を覚えました。

姉さんは夕方仕事に行く前にきちっと家中を掃除して、子どもと一緒にご飯を食べます。とき葉もよくごちそうになりました。決して手の込んだ料理ではなかったけど「○○の素」を使っていない、姉さんの味だったのです。

とき葉はそのころ、家を飛び出したばかりでまさに「何も解らないちゃん」でした。水道が止まっても慌てて公民館に聞きに行ってみたり…水道代がかかることすら知らなかったのです。もちろん、挨拶などもうまくできませんでした。「ごちそうさま」「ありがとうございます」「お大事に」「申し訳ありません」姉さんの8歳の娘より出来ていませんでした。そういうことに人の百倍うるさくてすぐに怒る姉さん。
だから姉さんの家に呼ばれるのが何よりの恐怖でした。でも、背に腹は代えられません。家を飛び出して挨拶もできないので仕事もできず収入もなく、ごはんをお腹いっぱい食べられるのは姉さんの家しかなかったのです。

「…いただ…きます」
姉さんの機嫌を損ねないために恐れおののきつつも精一杯挨拶をします。
「何だと?はっきりもの言え!!メシを運ぶでもなく、手伝うでもなくて食うならはっきりもの言ってから食え!」
親にだってこんな言い方されたことはありません。怖くて怖くて、せっかく目の前に料理が並びつつあるというのに、おなかも空いているはずなのに食欲があまり…でも、台所に向かった姉さんを見て必死でとき葉は言いました。
「ね、姉さん。何か手伝いましょうか?」
「『手伝いましょうか?』だぁ?本当に手伝う気があるんか!!手伝うときはなぁ先に手がでるんもんだ。じゃなきゃ『手伝います』とか『何か出来ることはありますか?』だ!」
「す…すみません…あの…」
「何だ?はよぉ座って食え!」
おぉぉぉぉこわぁぁぁ…。

姉さんの家に行くといっつもこんな調子でした。最初はこの女の人何か怒ってる?と思ってキライになりかけたのですが、怒っても怒ってもとき葉をごはんに呼んでくれる姉さんに、「どうしてとき葉呼んでくれるんだろー?」と思いながらも少しずつ感謝の気持ちが出できたように思います。

姉さんは、生い立ちからあまり恵まれなかったということを人づてに聞きました。少しでもだらしないところを見せると「おじょうさんのおたわむれだ」とぐずな私の胃を刺激し続けたのです。
姉さんの旦那さんは家族を養うという観念がありませんでした。常に男の勝負というものに出ており、姉さんもそんな旦那さんにはおかまいなしでせっせと仕事をして、別に食べさせてもらおうとも思っていなかったようです。

姉さんの仕事に付いて行ったこともあります。旦那さんの上司にあたる社会通念上コワい人の親分の嫁さんがやっている店で、店の女の人は10人くらいいましたが、一筋の滝のようにはっきりとした序列がありました。
姉さんはそこでは2番目で、しっかりした学級副委員って感じの立場でした。旦那さん達の序列とほぼ一緒でした。社会見学の私は子どもか犬くらいの立場で、姉さんが常に私に向かってアンテナを張っていたので、お客さんが来てもこわくて一言もしゃべれませんでした。

そんなこんなで家を出て2年が経った頃、一緒に住んでいた彼との仲は決定的に破滅しました。そして、最初は知らない土地ではあったのですが、友人も出来、私は遊び始めたのです。

私とよく遊んでくれたのはマリアさんという人でした。姉さんの旦那さんの用事で名古屋に付いて行くときに車で一緒になったのですが、自分の同僚の妹だということだったのです。旦那さんは「姉さんには言わないように」と釘を刺した上で、マリアさんと連絡先を交換するのを許してくれました。社会的にコワい人の妹か…と思って最初はおつきあいしていました。マリアさんは私に楽しいことをいっぱい教えてくれました。夜遊びすること、男の人からお小遣いをもらう姿「仕事をしなくても女はやっていけるんだよ」…姉さんとは真逆の甘い生活のマリアさんを見て、一緒になって甘い目に遭っていました。でも、マリアさんが「妹」ではなく「妾」だと気づくのに時間はかかりませんでした。きっとこれも姉さんと過ごしたから私のアンテナも少しは伸びていたからでしょう。

旦那さんから聞いた訳でもないでしょうが、マリアさんと楽な遊び方をして毎晩フラフラしている私を、姉さんは「話がある」と呼び出しました。いままで、このパターンで呼ばれて怒られなかった事はただの一度もなかったので、躊躇しましたが重い足取りで姉さんの家に向かいました。

珍しく姉さんは子どもに「2階で本でも読んでな」といい、私と姉さんふたりだけになりました。
「あんた、もう帰りなさい。あんたは挨拶もできるようになった、危ないことは何かがわかったね?あんたがここにいる理由はもう無いよ。このままいたらあんたの将来は取り戻しがきかなくなる。これは私のお願いだ、何にもいわずにもう帰りな」
姉さんが「お願い」と言ったのはこのときが最初で最後でした。目下の私に対して姉さんは絶対にそんなことは言わないだろうと思っていたので、とても驚きました。地元に帰ることについては、実際のところ彼とうまくいっていなかったので彼が居る借家にいつまでもいるのはつらかったし、この先どうしたら良いのか考えなきゃいけないなぁと思えるくらいには成長していたのだと思います。
「はい、ありがとうございました」
床に座り直し、正座をして両手をついて頭を下げました。姉さんの厳しいけど、確かに私のことを考えてくれている姿勢を感じ、人を大切にするというのはこういうやり方もあるのかと思いました。

姉さんは携帯を手に取り旦那さんに電話しました。
「…もしもし、アンタちょっと来て。うん、うん…とき葉を帰すわ」
事前に旦那さんとも話してあったらしく、すぐに真っ白な外車にのって旦那さんは帰ってきました。
旦那さんは何も言わず、玄関の外で煙草を吸いながら車のそばに繋いである犬を撫でていました。

元々、家を飛び出してきたのですから荷物はそんなにありません。実家に帰るのに食器やもらいものの家具などもっていっても邪魔になるだけだと、姉さんはボストンバッグを私にくれて「この中に入るものだけだ」と言いました。姉さんがくれたお下がりの洋服や、化粧品などを詰め、再び旦那さんの白い車に乗りました。車の中で姉さんは「ちゃんと親に謝って、また住まわせてもらえるように頭を下げるように」と言いました。しばらく離れていた親への思い入れなんかよりも、姉さんの説教を聞くのもこれが最後だと思うと寂しくて少し涙が出てきました。

やがて家に着き、玄関先まで姉さんはついてきてくれました。玄関を開けて、ついでに驚きで口が開いたままの親に対して、私はまだ素直に謝れず、もじもじしている私に姉さんは肘鉄砲を食らわせました。やっと私の口から言葉が出ました。
「す…すみま」
「すみませんでした!」
私のくすんだ声をかき消すくらいに私の親に謝ったのは姉さんでした。
「お嬢さんが私の近くに居るのを知っていて連絡もせず、申し訳ありません。でも親御さんと離れて、とき葉さんは大きくなりました。私は何も出来ませんでしたがせめて無事でお帰しします」
母親はびっくりしていましたが、姉さんに通り一遍のお礼を言い、連絡先を教えて欲しいと言いましたが、姉さんはきっぱりと断りました。私はボストンバッグを玄関の上がりかまちに置いて、姉さんを見送りました。白い外車に乗り込み際、姉さんは一通の手紙を私に差し出しました。
「はやく家に入って、きちんと親に頭下げんか!きっちり頭下げたらこれお母さんに渡して」
白い封筒には細くも力強い角張った字で、とき葉の苗字に「様」がつけられきっちり封がしてありました。
「ありがとうございました」本当に本当に感謝でいっぱいでした。できることならもう少し姉さんに怒られたかった。でも姉さんはきっと自分と同じ世界には私を置いておきたくはなかったのでしょう。
「アンタ、もう出て」
旦那さんに声を掛け、窓が開いたまま車はゆっくりと動き出しました。旦那さんも最後に
「じゃあね」
と短く声を掛けてくれて。白い車は遠ざかって行きました。私が昨日までいた世界も小さく、遠く、なくなってしまうようでした。
実家前の道の真ん中でわんわん泣きました。私は姉さんに何のお礼も出来ないまま離れてしまったのです。いくら「ありがとうございました」と姉さんに言ったところで、それも姉さんが教えてくれたことです。私が遠く小さくなってしまった車に向かって、泣いてお礼を言っている姿を見て、母親は家に入るように促しました。

何年も経ってから母親に聞いたのですが、姉さんが最後にくれた手紙には、私と初め会った時のことやどんなに私のことを可愛く思っていたかが書いてあったそうです。娘が出来るまでは肉親と呼べる人も無く、ずっと妹がいたらいいなと思っていたということでした。最初、連絡先も言わず突然娘を送って来た見知らぬ女に対して、親は少し怒っていましたが、娘がこんなにも他人に対して感謝するようになったことや、姉さんの手紙の真摯な姿勢に納得したようでした。

姉さんは、その後旦那さんと別れて関西方面にいると風の噂に聞きました。できることならもう一度会って「姉さん」と呼び、しっかりとお礼が言いたいといつも思っています。
姉さんに出会った事は私の人生の財産でした。私もこれから出会う人の中で、昔の私みたいな女の子がいたら、姉さんが私にしてくれたようにごはんを一緒に食べようと思います。「他人のメシを食う」という慣用句は後で知ったのですが、本当に幸せな「他人のメシ」でした。あの世界を少しだけ覗いて、無事で戻れたことにも感謝しています。

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