蒼-10
二人で湯船の中から、ぼぉっと湯気が天井に上がっていくのを眺めていた。一之進がふうっと長いため息をつくと、とき葉はすらっとした手で、冷えてしまわぬよう一之進の肩に交互に湯を掛ける。
「おまえとずっとこうしていたい、とき葉、もしもわたしと毎日一緒いたらわたしとおまえは幸せだろうか?」
思ってもみなかったことを耳にしたとき葉は、返答に困ってしまった。
ここの女が楼から出られるとすれば、年季が明けるか身請けをされるかどちらかしかない。身請けとは、女が楼へ来る時に背負って来た借金と今後の楼への保証金として莫大な金額を使うことになる。
よっぽどの大尽でない限り、無理なことであったがとき葉は一之進ならできるのではと一瞬思った。が、今からする自分の返答が、身請けをねだることになるのはとき葉の本意ではない。一之進がどこの武家か大名かは知らないが、身請けできるだけの家であれば相当の名家と考えて違いない。
だとすれば、その家の妾や妻になったとしても、とき葉は生涯「あの女は女郎をしていた」と家の中でも言われ続けるだろう。
「あなた様は外ではきっと大切なお役目がありましょう。そんな大事を果たした後、待っている女がわたくしのような者では釣り合いません」
「返答になっておらん」
一之進は少し寂しそうに言い、肩まで湯に浸かり込んだ。とき葉は少し考えて一之進に少しだけ背を向けるようにして小さな声でつぶやく。
「…この上ない幸せにございます…」
すぐさま、元のはっきりとした口調でとき葉は続ける。
「一之進様『晦日の月』と申します。このようであったなら、もしも、などと話すうち期待が膨らんで、それが叶わぬことがつらいのです。ならぬことはならぬものと思っておかねばここには居られません」
晦日とは月の終わりの日を指す。新月にあたるので、どんなに晴れていようと月が見えることがない。ありえないことを指して言うのである。
「…湯にあたります、そろそろお出になりましょう」
振り切るようにとき葉は一之進を促した。一之進がお内儀の言っていたように身分の高い者であるならば、楼の女など迎え入れることは身分違いも甚だしいであろう。とき葉は自分をがっかりさせるのが恐ろしかった。
「…待っていてくれ」
ぽつりとつぶやいた一之進をよそに、湯気の先を見上げると、風呂の高窓の格子からは、煌煌とした満月が顔を出し、その明るさのせいで空は蒼く広がっていた。とき葉は、一之進の肩に手をかけて言った。
「今日が晦日であれば良いのに…」
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