« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »

2009年2月

蒼-9

引け四つの拍子木が鳴り、宴も終焉を迎えた。座敷の隣には布団が用意され、とき葉は着替えをしてくると一之進に告げると、一之進は意外な事を口にした。
「とき葉、湯に入らないか。なぜか体が冷めてしまったようだ」
「はい、ではすぐに湯の用意を」
とき葉は、眠そうにしていたこはくに湯の用意をするように頼むと、こはくは座敷を出て、廊下の奥にいた喜助にむかって
「喜助どーん、湯をやっておくれ」
と甲高い声で言っているのが聞こえる。
「まぁ、こはくったら。あんなに大きな声で」
「よいではないか、こはくは素直な子だ。とき葉はこはくがかわいいか?」
「はい、私はあの子が自分の年の離れた妹か子どものように思えてなりません。ただし、禿となってきたからにはあの子も何か由があってここへ来たのでしょう。ならば、ここで生き抜いていけるように私はこはくをきっちりと一人前の女へと育てねばなりません。行儀見習いだといって、都合良く使われて、禿に八つ当たりをする者もおりますが、それはここではよくあること。そんな理不尽なこともこはくの先の力になるでしょう。」
「こはくはつらがっておるか?」
「いいえ、私にはそんな顔は微塵も見せません。でも寝る時分になると布団に顔を引っ込めてじっと起きていることがあります。こはくは縁あって私の元に来た禿ですから、私がこはくをかばい、かわいがらねばなりません。十にも満たない子どもに楼のしきたりや慣れごとは少々きつすぎます。私がこはくの逃げ場となり、信頼に足る人間として存在しなければ、あの子の素直さは失われてしまいます」
火鉢の炭をつつきながら、とき葉はこはくのことを切々と話した。きっと自分がここへ来たときの気持ちを思い出しているのだろう。互いに様々な思いが頭の中をめぐり、しばらくの沈黙が続いたとき、こはくが座敷に戻ってきて、湯の支度が整ったことを告げた。
「こはく、先におやすみ。今夜は少し冷えるから、余分に着て寝なさい」
「あい、お先に」
深々とお辞儀をして、こはくは座敷を出た。そんなこはくを見て、一之進は宴の席でとき葉に過去を訊ねたことをますますすまないと思った。
「こはく、今夜はゆっくりと寝られればよいが」
「さあ、湯に参りましょう。あの子なら大丈夫です、今日はお菓子も頂き、あのようにはしゃいでおりましたから疲れてよく寝られます。それに芯の強い子ですから」

| | コメント (8) | トラックバック (0)

蒼-8

座敷には台の物が運ばれ、三味線を持った男衆と芸者が座敷に入って来た。とき葉は白地に極彩色の鞠の模様の袷に黒い緞子の帯、格子模様に菊の柄の赤い打ち掛けに着替えていた。情を交わした後のけだるい様子もなく、さすが幼い禿のころから鍛えられているだけあって新鮮さすら感じさせるほどに華やかな雰囲気だった。
芸者が三味線をかき鳴らし、こはくが楽しそうに手遊びをする。一之進は
屏風の前にとき葉と並んで、そんな様子を眺めていた。
「なぁ、とき葉。おまえも幼いころはこのように遊んでおったのか?」
「はい、ここに来てからしばらくは、このこはくのようにいろいろな手習いをし、作法見習いをしておりました。無邪気なものです…これ、こはく。おまえもこちらへ来てお上がり」
一之進が聞きたかったのは本当はそんなことではなかった。とき葉がどこで生まれ、どのようにここに来たのかは初めて会ったときから気になっていた。
「…ここに、来る前のことは覚えておるか」
とき葉は笑みをたたえながらもきっぱりと答えた。
「はい、つまらない話でございます」
一之進は少しすまない気持ちになった。ここへ好んで来る女などいない。すべての女が借金を背負わされ、あるいは親に売られ、金というものに縛られて閉じ込められているも同然の生活をおくっているのだ。
「すまぬ。許してくれ」
「謝るとこはありません。私こそ不躾なお返事をいたしました。お許しください」
とき葉もここに来るには相当の苦労があった。しかし、人に話したところで過去は変わらない。一之進がとき葉の話を聞けばおそらく同情するであろう。客ならば同情をひく話のひとつでも打っておけばよいが、とき葉は一之進が自分の過去を聞いてつらい気持ちになるのが嫌だった。
太鼓持ち(幇間)がおかしな踊りを披露して、わざと転んだり滑ったりして笑いをとっている。
「もうひと月もすれば、桜も咲くだろう。今宵は暖かいな」
そういうと、一之進は盃の酒を一口あおった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ゆめの外側から考える〜能動的受動と受動的能動〜

一之進はとき葉の客という立場であり、とき葉は被虐・羞恥的嗜好を持っているので、一之進の方が断然主導権を握っているかのように見える。
しかし、実は情事において主導権をしっかりとにぎっているのはとき葉である。

一之進はとき葉の喜ぶ姿、すなわち恥ずかしがり、快楽に溺れ苦しむ姿が見たいのだ。そのためにとき葉が何を欲しているのか、何をしたらその状況を引き出せるのかを常にアンテナを張りつめて考えている。とき葉が羞恥で感じるのであれば、恥ずかしい姿に縛り上げてみる。とき葉が命令されることに快感を覚えるから、とき葉のして欲しい命令を下す。
とき葉の欲するがままに動いている、つまり受動的なのは一之進のほうなのだ。

逆にとき葉は、一之進から注がれる快感のシャワーを一身に受け、一之進に次に何をすべきかを発信している。
「…そんなことしないで」といいながらも、それはして欲しくて言っているのだ。反応を示すことで一之進に遠回りすぎるほど、遠回りに指示している。逆に、して欲しくないことは無反応にやり過ごすだけだ。
して欲しいことを口では言わないまでも、反応や雰囲気、または拒否のふりをすることで、催促しつづけているとき葉は実に能動的である。

もっとも、この営みは現代のイメクラのように筋書きがあれば簡単であるが、二人の情事に筋書きはない。ジャズセッションのアドリブのように、進行役がAというコードで進めばそれに追随したアレンジを演奏し、急に転調してもリズムを変えて曲についていく…。

責める側の人間は、相手の反応によって次の行動を決める臨機応変さと、相手が本当に喜んでいるのか、そして次は何をしてもらいたいと思っているのか見分ける洞察力、相手にどの程度の刺激を与えるのかを決める判断能力がなければ、このような嗜好の情事は楽しむことができない。
とき葉と一之進のしている情事は非常に頭脳的なゲームである。

付け加えておくが、時には痛みも快楽のエッセンスとなりうる。ただし「痛いのが好き」なのではない。責められているという実感そのもの、またそれに耐えているところを相手に見せられる喜びがここにある。「縄が好き」なのではない。愛している相手に拘束されていることが良いのだ。逃げられぬように縛られて快感を享受するのみで良いことが、縛られているにもかかわらず、なによりの開放感になる。

そこまでのロジックがわかっている者同士でなければ、この快楽のゲームは進まない。そして二人の間に愛があればなおいい。とき葉と同じような嗜好を持った女がそのような相手を見つけたなら、女としては非常に幸せであろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

蒼-7

「あ…あっ、早く来て…」
羞恥に狂い、奥ゆかしく自分をねだる時、一之進はこれほどとき葉を愛おしいと思うときはない。盃を投げ出し、とき葉の肩を掴む。
「とき葉、わたし以外の男にはそんな姿をみせないでおくれ…おまえはわたしのものだ」
とき葉の両手を戒めていた腰紐をするすると解き、腰を抱いてとき葉を横たえさせ、とき葉の上に覆いかかると二人は熱く契りを交わす。楼の女が男よりも先に絶頂を迎えるのは恥とされていたが、とき葉は一之進の熱い突進を全身で受け止め、体を大きく反らす。
「あぁっ…もうだめです、もう…」
一之進の背中に手を廻し、とき葉の手には力がこもる。白い足はわずかな痙攣を見せ、とき葉は深く息を吐いた。
「逝ったか、とき葉」
一之進も息を弾ませながら、男冥利につきるとばかりにとき葉をきつく抱きしめる。今度は自分が下になり、とき葉を腰の上に座らせて手を繋ぐと、とき葉は一瞬観念したような表情を見せ自ら快楽に落ちていくように腰を動かす。
「とき葉…綺麗だよ…顔をよく見せてくれ」
「…られません…見せられません…あなた様以外の…人にはこんな…」
「そうだよ…わたし以外の男には、こんなに乱れないでおくれ…さぁもっとよく見せるのだ」
二人は絶頂の時を同時に迎えようとしていた。遠くで寺の鐘の音が聞こえる。

何刻か経った後、まどろみの中にいる二人は物音に気がついた。先刻、菓子を買いに行った禿のこはくが部屋に三方をそっと運んできたのだった。
三方の上には、青山庵の伊勢最中がちょこんと二つ並べられていて、黒文字が添えてあった。
すっかり日は沈み、細く開けた障子からは紺色の空が見えた。
布団の中で両手でしっかりととき葉を抱いたまま、一之進はこはくに微笑みかけ礼を言う。
「ごくろうだった。ついでに茶を入れていってくれるか」
こはくは無言でこくりとうなずき、火鉢にかけられた鉄瓶の湯で茶を入れる。とき葉もそれに気づきこはくに声をかける。
「こはく、おかたじけ。お前も茶を飲んでお行き」
こはくは幸せそうな二人を見て、照れくさそうにしながらもうなずいて茶をもう一つ注ぐ。とき葉はゆるゆると一之進の手をほどき襦袢の襟を合わせて布団から出る。
「おまえの名はこはくというのか?良い名だな」
一之進はこはくに話しかける。菓子を買いに遣わされる前とはすっかり違い、こはくの緊張は解けている様子で、きちんと一之進に茶を差し出す。
「あい、お先にちょうだいしました」
よほど菓子がうれしかったのか、こはくは思い出したようににっこりと笑う。
「こはく、口の周りに餡がついたままですよ」
姉のような口ぶりでとき葉が真剣に言うと、こはくは慌てて袖口で口をこする。一之進ととき葉は顔を見合わせて笑うと、一之進が口を開く。
「とき葉も人が悪い、餡などはなからついてはおらぬ。こはく、腹は減らぬか?もう夕の食事の時間であろう」
夜見世を知らせる拍子木が鳴った。禿の食事や着物はすべて、その面倒を見るとき葉のかかりになっているので、とき葉に客があるときは先に食事をすることはない。楼主の居室である内所では、少しの白飯と香の物くらいは貰えるが、とうてい満足するようなものではない。
そのとき、楼の二階を仕切る男衆の喜助が襖の向こうから声をかける。
「旦那様、台の物をおとりいたしましょうか」
どこの楼でも、二階を取り仕切る役目の者は喜助と呼ばれ、部屋の様子を知られぬように把握して、適時よく声をかける。台の物とは、仕出し屋やそば屋が運んでくる食べ物のことを言う。
「頼んだよ、豆腐を温かくあつらえてくれ。こはく、食べたい物を頼んでおいで」

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »